幻の葛尾村になる前に 第二部 (6)「春のお彼岸」

 葛尾村を案内してもらった3月21日は春のお彼岸であった。仮設集会所の前で白岩さんを待っていると、村人が「今日はお彼岸だから葛尾は大賑わいだよ」と声をかけてくれる。
 峠を越えて最初に見えてくる集落は上野川で、街道から斜面に広がる墓地に向かって村人が坂を上る。ふと見るとめいめいが色鮮やかな花を手にしているので、白岩さんにあの花は何ですかとたずねてみた。「福島は今の季節花がないからね、ああやって作りものの花を供えるんです」と教えてくれた。四国出身だから、おそらく今頃はいろいろな花がもう咲いているだろう。

f:id:sebas-tyan:20150406101007j:plain

 

 きびきびと立ち働き墓参りをする姿に心は私の故郷に飛び立つ。しかし、彼岸のイメージは結べなかった。高校卒業後一度も彼岸の時季に故郷に帰ったことがない。だからどんな行事が行われるのかは全く知らないのだ。都会に住めば西洋の節句に目がくらみ、誰もがバレンタインだ、イースターだ、ハロウィンだと何ヶ月も前から気もそぞろになる。故郷に住むことと故郷を遠く思うことには大きな違いがある。都会に移り住めば、せいぜいお盆に帰省するぐらいで、故郷の季節も節句も雲散霧消してしまう。

 しばらく街道を降りていくと野川集落が現れる。白岩さんのお宅を訪ねると、庭先に湧き水が池をなし日を照り返して春のせせらぎを聞かせてくれる。枯れ草の間から可憐な姿を見せてくれたのが、白と紫のクロッカス、見慣れない花があったのでたずねると福寿草だという。枯草の中に黄色い花が鎮座するのは何とも誇らしげで陽の光を浴びて春を告げている。

f:id:sebas-tyan:20150406095155j:plain

f:id:sebas-tyan:20150406095035j:plain

 彼岸とは三途の川ではなく煩悩を乗り越えた涅槃の岸辺だと聞く。さらに煩悩が増えていく私にはせめて此岸の花を愛でるしかない。