幻の葛尾村になる前に 第三部 −4「水の記憶」

筆者は徳島県出身で、生まれ故郷は麻植郡美郷村字峠という田舎田舎した名前の、のどかな村です。三歳までをこの四国山脈山中の農家の家屋で暮らしました。この家屋は明治年間に建てられ築130年以上になりいまでも立派に建っています。その後は吉野川流域の鴨島町にて引っ越し18歳までを過ごしました。この町は吉野川の伏流水が町の西側でわき出し、江川という川となり東に下り、再び川下で吉野川に合流するので、水の豊かな町だったと思います。小学校の頃はこの江川で「たらい船」に乗って夏休みを楽しんだのも良い思い出です。水の傍で幼少期思春期を過ごしたので、今でも水の風景に心を動かされます。明治の家屋には屋外に井戸があり、幼い頃はつるべで水を汲んでいました。後に手こぎポンプが井戸の上に置かれシャカシャカと音を立てて水を汲んだ記憶があります。昭和の風景ですね。今は電動ポンプで水を汲み、さらに衛生管理の関係から市営の上水道が入っています。学生さんに「手こぎのポンプ」って知ってる?と聞くと、「隣のトトロでサツキとメイちゃんが水をくんでたやつ」と答えてくれました。見たことはないのでしょうね。ウェブで画像を探して見せるとヴェロニックというニックネームの美大の学生さんが下のイラストを描いてくれました。水の出るところには木綿の布が袋状に取り付けられていて、くみ上げられた水に含まれていたゴミを取ったりしていましたが、長く使っているとこの布が赤茶けてきて鉄分か何かが含まれていたんだろう想像します。井戸の底の水をくみ上げていたので季節や雨量によって水量がまちまちで、例えば風呂を使うと次の日は水が出なかったりと、水が少なくて困ったこともあります。水質検査などはなく、そんな水でも今の水道水よりずっと美味しく、冷たい水をごくごくとひしゃくに口をつけて飲んでいたことを鮮明に覚えています。

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このような話をしたのは、葛尾村に深井戸が掘られているということを聞いたからです。おそらくかつては筆者と同じように水の豊かな村であっただろうと想像できるからです。次回は「水の管理」についてお話しします。