幻の葛尾村になる前に 第三部 −2「田んぼ再生」

一度放射能に汚染された田んぼを再生するのがいかに難しいかがようやく少しだけわかりました。ますは田んぼの表土を5cmぶん削り取る。ところがそれを放置しておくと雑草やら木が生い茂りあっという間に草っ原になってしまいます。そうなるとすき起こすこともできなくなるので、また削り取らねばならなくなります。下の写真は、上野川地区でやはり稲作を試みている白岩さんの田んぼです。手前の田んぼは良く稲が実り見栄えがいいのですが、下の写真の田んぼはそのすぐ隣の田んぼで草ぼうぼう、手のつけようがありません。

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上の写真の向こう側に緑色のシートに覆われた盛り土が見えますか?悲しいことに、これは除染によってはぎ取られた汚染土の仮置き場です。こんな過酷な条件の下稲作を再開したのはなぜでしょうか?一度荒廃した田んぼが元に戻るのに何十年もかかるということ、汚染がなくなるのはさらに先だと言うことをまずは理解して下さい。それでも田んぼを再開しようとしているのは、ひとえに、いつかこの田んぼを引き継いでくれる若い人が出てきたときに、今自分たちが何もしていなかったら彼らに何も渡せない、という思いがあるからです。ほとんどの村人が「もう無理だ、できねえ」と絶望する中、仲間6人と田んぼ再生に向かったのは、自分たちのためでも、米を販売するのでもなく、村が消え去る運命にある中で、どうすれば村の再生をあきらめずに続けられるかを身を粉にして示そうといるのです。東電も政権も官僚も、このような気骨が理解できるでしょうか?いや、このような環境でも帰村せよと彼らは言い放ち、村人は仮設に残るのか、あるいはこのような田んぼも畑もままならぬ故郷に戻るのか不安で胸が一杯なんだと推察する次第です。遠くに山頂が雲に霞む竜子山が泣いているように見えました。