幻の葛尾村になる前に(5)帰るも地獄残るも地獄

仮設住宅の集会室でお話を伺ったおばちゃんの一人がこう言った。「わたしら時々、無料バスに乗って自分の家を見に帰るんだけど、長袖で肌を隠して口にはマスクをしていく。夕方帰ってくるとまず服を脱ぎすぐに洗濯、マスクは棄てる。時にはいらない服を着ていってそのまま脱ぎ捨てることもあるんだよ。放射能は目に見えないから怖いんだよ」と。除染が終わった自宅やその周囲に立ち寄るだけでもこれだけの注意を怠らない。ちなみに、現在の仮設住宅の空間線量は、比較的低いと言われる三春町で0.03μSvとのこと。

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震災が起きたのが2011年(平成23年)3月11日、まもなく3年5ヶ月になる。仮設住宅には「応急」の文字がつき「応急仮設住宅」が正式名となっているが、この命名何と冷たい言葉であろうか。この住宅の本来の提供期間は2年間であるが3年間に延長されている。もちろん恒久住宅建設工事が遅れているからだ。諸処の事情があるだろうから致し方ない面もあるだろう。3年目を5ヶ月過ぎているがしかし、本質的な問題は別のところにある。

<いつまでここに住めるのか>

この応急仮設住宅は平成28年までひとまず居住が認められていて家賃はかかっていない。H28年以降続けて居住できるかどうか、さらにH28年以降の家賃補助がなくなるかどうかの不安が口々に語られた。

<災害公営住宅>への入居

災害公営住宅の建設が様々な要因で遅れていることは報道されている。それについてはここでは取り上げない。「循環型社会推進センター」の「福島県復興公営住宅」資料によると、葛尾村公営住宅の建設は三春町下越地区に125戸が木造戸建てで整備予定となっている。筆者はこうした公営住宅には希望者は全員住めるものだと思っていた。ところが村のみなさんに尋ねてみると「入りたくてもおらは入れね」との答えが返ってきた。「どうしてですか」と重ねて聞けば、「入るには2つ条件がある。一つ目は帰還困難区域か居住制限区域の住民であること。二つ目は、避難指示解除準備区域の住民で18歳未満の子どものいる家庭であること。

さすればどうなるのか?まず若者は村には帰らないから、高齢者が対象となる。

しかし、高齢者には18歳未満の子どもはいないからこの条件に当てはまらない。つまり、準備区域の高齢者は災害公営住宅には入れないのだ。だから、子どものいない高齢者は村に帰るしかない。帰る環境にない村に帰らなければ路頭に迷う。何と冷酷な仕打ちであろうか。これは棄民と呼ぶしかない。