幻の葛尾村になる前に(3)帰りたい帰れない

「淋しかったら 帰っておいでと 手紙をくれた 母さん元気

帰りたい帰れない…  帰りたい帰れない」 (作詞・作曲:加藤登紀子)

三春町斎藤里内葛尾村応急仮設住宅の集会所で、籠作りにいそしむおばちゃんたちの四方山話に混ぜてもらった。

「おしゃべりしながら友だちと籠作り愉しそうですね」と筆者。「こんな籠作りで何とか気を紛らわしているけど、本当は外に出て野菜作りをやりたい」、「村に帰っても線量高いし、土は持って行かれるし、ビニールハウス建てても土が汚染されてるし、野菜作りも難しいな」などと愚痴を言っている。なるほど、村に帰ってもそう簡単に元の生活には戻れないのだ。

例えば水田を例に取ってみよう。葛尾村は標高450mなのでコシヒカリ栽培には向いていず、あきたこまちがいいとのこと。震災前は稲作と自家用の野菜作りで食卓をまかなっていたという。みなさん野菜作りは大好き、なにより愉しいと答えてくれた。

ところで水田はどうなっているのかみてみよう。この写真は野川地区の川沿いの段々畑である。一度草刈りはやったらしいが、3年も経つと草ぼうぼうで水田の面影はみじんもない。「ヤナギ」が生えてどうにもならんと言う。この写真の手前に繁茂しているのがそのヤナギで、葉がしだれる柳とは別物だ。これが水田に生えているのでまずは草刈りを始めなければならない。

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次の写真は葛尾村葛尾地区の草刈りの現場である。生い茂った草やヤナギの木を強力な草刈り機で一気に刈っていく。ところでここからが除染作業の始まりだ。細かくは知らないが、宅地のその周囲半径20m、道路とその周囲半径20m、田畑が主な対象だと思われる。宅地の周囲半径20mの外は除染されないし、住宅の中も対象外である。つまりは、村内の個人住宅や建物、田畑や道路などがその周囲を削り取るように除染済みの土地が点在することになり、除染されない土地がほとんど手つかずのまま残されるという。除染されていない所には放射性物質がそのまま残っているので、住民は「どうせ2,3年もすれば除染したところも除染前に戻るでしょうが」などとあきらめ顔。

腰の曲がったおばちゃんたちが多くいらして、聞けば震災前はみなさん苦労して水田をやっていたという。そのおばちゃんたちが嘆くのは、「田んぼの土を5cmはぎ取って除染して、その代わり山の赤土持って来ても稲はできないよ」という。その上2,3年は土の中に上の写真のような草の根が残っているので稲はうまく育たないという。「元の田んぼに戻るには何年ぐらいかかりますか?」と尋ねると、「10年はかかる」、「それまで生きているかね〜、はっはっは」と屈託がない。「3年もやってないから稲の作り方を忘れたよ」などと軽口もでる。「村に帰っても米は作れねえ、野菜は作れねえ、どうやって食っていけばいい」と真顔になる。政府も東電も自分たちの都合のいいように決めたことをいやいややったあげくに、後は「はい、除染が終わったので帰村して下さい。補償も終わるので自立できるよう頑張って下さい」と村人を放り出すだろう。そうした不安を皆さんは抱えながら苦労の多い仮設暮らしを続けているのだ。

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