幻の葛尾村になる前に 第二部 (1)「コミュニテイ・ブレイクダウン」

福島では時間は流れない、重苦しく積み重なっていく。降り積もり静かに層をなしていくがなかには異物のように結晶していくものもある。

 三春に着いた3月19日夜の飲み会は重い話題から始まった。

「この頃どうも近所の人に疎まれているような気がする」

「早く言やあ<うざい>と思われているってことだ」。

穏やかではない。いつ頃からですか?と訊ねる。

「そうさな、去年ぐらいからかな」

「ここに来て最初の頃はずっと近所の人には優しい声をかけてもらってありがたかった」

「それがよ、ここんとこ雰囲気が変わってきた」

「何か言われたってわけじゃないんだよ、ただそう感じるからさ、犬の散歩も夜明け前にするんだ」

この3月11日で震災後4年が過ぎた。震災後集団避難や親戚の家に身を寄せるなど各地を転々としてようやく夏頃仮設住宅に入れた。間もなく仮設住宅暮らしが4年目を終えることになる。この4年目が想像を超えた時の重みとなって避難民にのしかかっている。

「俺が町の人だったら同じように思うだろうな」

「補償金もらって楽してるんじゃないのか、と思われてる気がしてな」

故郷には戻れない、仮設を出たいけれど資金がない、災害公営住宅に移りたくても18歳未満の子どもが家族にいなければ申し込みさえできない。こんな身動きのできないもどかしさで身もだえしている。来年には帰村宣言が出されるかも知れないが、故郷はまだ空間線量が高くて帰村しても住居まわりしか動けず、田んぼも畑もできゃしねえ。

そもそも仮設住宅は「応急」仮設住宅という名で作られている。基本は2年、せいぜい3年、それを超えた4年という年月が、避難民の我慢に限界をもたらし、仮設を受け入れた地域にストレスを感じさせている。私たちは所得税の申告で、所得税額に2.1%をかけた復興特別所得税額を徴収されている。集まるだけ集めて置いて、実は使えなかった復興予算が7兆円も余りましたなどと政府は白々しく言う。本当にはらわたが煮えくりかえる。自分たちは政党助成金でぬくぬくしながら、福島の避難民を不安と恐怖に陥れ知らんぷりを決め込む。みなさんは「棄民」という言葉をご存じだろうか?福島の人はなかなか本音を語らない、我慢強いと言われるがその福島県民に我慢の限界がそこまで来ているのだ。

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